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久しぶりにブログを更新しようと思い立ってみたが、特筆するようなことは別にないので適当に書く。

今日の朝ワールドカップ日本対ギリシャ戦をテレビで見ていたが、待てど暮らせど一向にゴールが決まらずもやもやしたまま試合が終わってしまった。選手が日々積み重ねている鍛錬や苦悩というのは、こうやってテレビの前で都合のいいときだけ応援して後は見向きもしないような人間に分かるはずも無いし、その姿勢が賞賛に値するのは論を待たないが、クソつまらん試合であったのもまた間違いない。聞けばこれから日本が決勝リーグへ進出する為にはなかなかハードな条件をクリアしなきゃならないらしい。健闘を祈る。

ネットで有名なフリーゲーム「青鬼」が実写化するというので予告編を見てみたが、これじゃない感が半端ない。原作の青鬼には空虚さとか無邪気さとかある種「白痴っぽい」部分があり、何を考えているのかが本質的に理解できない感じが恐ろしさを助長していたのに、これは完全に悪意や怒りを持っている。青鬼の胸中を理解できてしまうじゃないか。不気味なものとは、そのおおよそを人間の範疇では想像できない論理的破綻からくる。だからそこに「人を襲う」という点において悪意や怒りといった「理解できてしまう」理由づけをしちゃいけない。青鬼は不気味であり聖性を帯びなきゃいけないのにこれじゃただの凶暴なモンスターだ。

同年代の友達と飲みにいったりすると、その生活の多様さに驚くことが多い。会社でこき使われてるやつ、フリーターでモラトリアム継続中のやつ、早々に子供を作り育児に追われているやつ。ネットなんて全く見ないやつ、日々アニメばっかり見てるやつ。昔は皆大体同じことで一喜一憂していた筈なのに。時間の流れと共に人間もまた流動するものである、人間は川のようなものであると誰かが言っていたのを思い出した。

ここまで書いて思い出したが、最近までグッズのデザインをしていたんだった。TシャツやiPhoneケースは前から一度作ってみたかったので絵を描いてる間は凄く楽しかったが、何ぶん初めてのことだったので受け入れられるかどうか不安もあった。蓋を開けば割と好感触だったので一安心。また作りたい。

夏が近い。
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投げっぱなしジャーマン

・気がついたら9月になっていた。最近外を歩いているとなんだか妙に涼しくて、まさか…とは思っていたのだが、ついに9月がきてしまったらしい。夏が終わりつつある。

・「自分でものを考える」というのはどういうことなんだろう、と常々思う。自分の意思なんてものはまやかしではなかろうか。いつだって大きな流れの中を流れ揺蕩っているだけで、流れそのものを体現することしかできないのではないか。それを自分の意思と呼んでいいのか。切り取ってきた断片を張り合わせコラージュしてきた人格をオリジナリティと呼んでいいのか。

・独創やオリジナリティという言葉は近代になって生まれたもので、著作権やコピーライトと共に生まれた概念であるらしい。インターネット上にて権利の主張に躍起になっている人は少なくない。

・「何処にもいけない」という感覚が自分の中に大きく内在していて、よく歌詞に使ってしまうし使おうとしてしまう。自分でもこれが何なのかよくわかってなかったけれど、改めて考えてみると、どうやら不可逆な時間の流れに於いて使っているらしい。と思う。やっぱりわからない。

・自省は必ずしもネガティブな意味をはらむものではない。自省によって自分の悪いところを見つけられるなら、必ずいいところも見つけられるはずで、それができないやつは意図的に悪いところを探しているだけ。こういうのを卑屈っていうんだろうな。

・https://www.youtube.com/watch?v=mOHkRk00iI8
こういうの見ると、面白いと同時に感動してしまう…。

・セカンドシングル「MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー」 が10月30日に発売になりました。いい曲です。よろしくお願いします。インターネットにて作ったらすぐニコニコに投稿してきた身として、作ってから発売までラグがあるのがどうも慣れない。どうにかならんもんかと思うし、郷に入りては〜とも思う。

・夏が終わる〜〜〜。
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atom

7月である。2013年も折り返し。

ロッキンオンジャパンにて連載を始めました。「かいじゅうずかん」というタイトルで、架空のかいじゅうのイラストを描き特性などを紹介するという音楽雑誌にあるまじき連載ではありますが、僕自身は楽しいです。こういうのずっとやりたかった。

最近はずっと音楽を作っている。最近はというより、恒常的に作っている。上手く行かないことは多い。けれどやらなければならない。

今年になって初めて本格的なスタジオでレコーディングをしているのだが、知らないことばかりで新鮮だ。自分が知っていることなどほんの一部であることを痛感する。

肉体と精神、思考と感情、様々な対立する二元のことを考えている。本当に素晴らしいものを作るなら、どちらもおろそかにしてはならない。音楽を作っていると、どうしても精神とか感情とかいうほうに偏りがちだ。

謝られて救われたことが一度もない。もの凄く空しいものだと思う。過失は謝っても元に戻らないからだ。「謝らなくてもいいからどうにかして」と毎回思っていた。けれどそれは往々にして、どうにもならないから謝るのだ。

死という概念に触れることでしか精神の向上はありえない。いうなれば死という土壌の上でのみ育つ樹木のようなものであって、死に対して意識的でなければ精神の豊穣はありえない。

自分の行動原理が「優しさ」であるかどうかは、能動的であるか受動的であるかによる。相手の為もしくはそうでなかったとしても、何かをなしたいと思い行動する場合はそれを優しさと呼んで構わないだろう。面倒くさいとか、やりたくないとか消極的な意思によるものは優しさではなく弱さだ。
これは主観的なものであって、それが優しさであろうと弱さであろうと受け取る側がどう感じるかによるものであると言われると仕方ない。しかし自分の弱さを優しさという包装紙でパッケージングして正当化してしまうのは傲慢だし誠意的なものの考え方ではない。

今年の夏は山に行きたいなあ。誰か一緒にいきましょう。
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煙草は冷たい唐辛子みたいな味がする

以前書いた記事が約5ヶ月も前のものだということに驚き、月並みな感想ですが、時間が経つのは早いなあと感じました。

皆さんは去年の9月からの5ヶ月間何をして過ごしましたか。僕はあんまり覚えていません。何もしてこなかったわけではないのですが、いかんせん思い出そうとしても上手く思い出せません。

昔から思い出話を上手く話題に盛り込む人間には敬意を抱いています。あの手この手で現状と思い出を結びつける人をみる度にその能力に感嘆します。

僕にその能力はないので憶測になりますが、おそらくそういう能力が著しく発達している人というのは(先天的なものを除く)、日常の中のちょっとした出来事に遭遇する度に、それを共有したい誰かの顔を思い浮かべているのではないでしょうか。この話をしたらどういう顔をするだろう、ちゃんと笑ってくれるだろうか、同じ気持ちを抱いてくれるだろうかと、頭の中小さく逡巡して、なるべく伝わりやすい形で言葉にする為に、起きた出来事を簡略化し、言語化のための要所を抜き出しては、頭の中ちゃんと見つけやすい場所にしまっておく。ここまでしっかり完遂しているから記憶の整理整頓がちゃんと成されていて出来事を上手く思い出すことができるのではないでしょうか。

そんな推測を立てて思うのですが、何かの能力を身につける、ひいては何かの目的を成す為には、この憶測でいうところの「小さく逡巡する」という行程が一番重要なのではないかと思います。

日常を生きていく上において、害なすものを酷く恐れたり、漠然としたものに不安を覚えたりするものですが、そういう憂いを帯びた諸々の出自というのは「許されているのかいないのか」を明確に認識しきれない自分からばかりです。許されていないのではないかと疑えば疑うほど、自分の立っている足場が小さくなっていく感覚が増していき、ついには足を踏み外して落っこちてしまう未来を想像します。その最悪の事態を回避する為に、許されようとがんばります。がんばった末に評価されれば、「許された」と認識の更新をすることができます。人間とは上手くできていないもので、そういう認識は一つのところに留まっておられず、個人差はあるものの、上がったり下がったり常に揺らいで忙しない。許されていないのではと疑いだす度に認識の更新を迫られるような気になってしまう。あとはこれの繰り返しです。許す許さないなんて至極どうでもいいことだし、許されてなかろうと別に生きていけるもんなのに、ぐずぐずとためらい不安を覚えるという冗長な行程が、結局は人間のケツを叩いているんだろうなあと思います。

許される許されないの主語がありませんが、別になんでもいいと思います。親でも友達でも恋人でも宗教でも絵でも音楽でも勉学でもスポーツでもなんでもいいと思います。

こういうことを考えると、結局は不安に頼っているだけなのではないかと、もの凄くダサい自分がいるような気にもなってくるのですが、それは僕の姿勢の問題であって、ありとあらゆる強さの原因は憂いにあると今のところ信じています。

眠気覚ましの為に書き始めたら、なんかよくわからん方向へ向かってしまいました。皆さんは思い出を話したい人がいますか。
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あなたは醜い

命を食べて笑い合う気分はどうだ
愛は見つかったか
言葉はいつも人を殺している
私もあなたも殺している

あなたは醜い 一人じゃ生きられない
それすら信じない あなたは醜い
それでもあなたを 私は愛したい
一人で死ぬ日まで あなたを愛したい

孤独を煽り繋がりあう気分はどうだ
愛は見つかったか
掠れる声を踏みにじりながら
生きていることを忘れるな

あなたは醜い 大人にも子供にも
成りきれてはいない あなたは醜い
それでもあなたを 私は愛したい
ひと時だけでもいい あなたを愛したい

大きな星も小さな花々も
別に誰も許しはしない
沢山の罪と醜さを背負い
今日も明日も生きていく

あなたは醜い 言葉にならない
あなたによく似ている 私も醜い
それでもあなたと 二人で生きていたい
寂しくなるばかり あなたを愛したい

あなたは醜い 一人じゃ生きられない
それすら信じない あなたは醜い
それでもあなたを 私は愛したい
一人で死ぬ日まで あなたを愛したい
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Author:米津玄師
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